母が突然くも膜下出血で倒れた…

母がくも膜下出血で倒れた日から

これは、60才前半の母が突然くも膜下出血で倒れた時のことをまとめたものです。

少し雑に感じるかもしれませんけど、簡単に日記のようにして書き留めておいたものなのでご了承ください。

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母がくも膜下がで倒れた日…

母が倒れたことを知ったのは、朝の6時頃のことでした。

突然玄関が激しく叩かれて、インターホンを連呼され不審な思いで妻が玄関に出ると実家の近所の人が、

 

「お母さんが倒れて救急車で運ばれている!!」

 

とパニック状態で教えてくれました。

 

お父さんから電話がきていたのですが、寝る時はいつもサイレントマナーだったため気付かなかったのです。それで、実家から私たちの家が近かったので急いで教えに来てくれたのです。

 

急いでお父さんに電話をかけると、

「朝気づいたらお母さんがいなかったから探したら、お風呂で倒れていた…。いまから救急車で運ばれるから、後で搬送先が分かって落ち着いたら着替えなんかを持ってきてくれないか。」

といった感じで、その時はそこまで慌てた様子もなかったです。

 

しかし、その数十分後のこと…

電話がきた内容で空気が一変したのです…

 

「お母さんが危ない状態だからいますぐに病院にきてくれ…。」
と涙声で妻に電話がきたのです。

急いで病院に直行し先生の説明を聞くことに。

 

それから、毎日張り詰めた状態が続くとはその時は思いもしなかったのです…

母がくも膜下出血で倒れた時からの経緯

ここからは、母が倒れた時のことを簡単な日記にしたものです。

ちょっとざっくりとした内容になってしまいますがご了承ください。

 

倒れた日 午前0時頃

お風呂場で倒れていた。
秋口の急激に冷え込んだ夜だった。

この時は誰も気付かなかったが、お父さんが23時頃に眠った後のことだったのでだいたい0時頃だったと思われる。

 

倒れた日 午前6時頃

父が、お風呂場で倒れている母を発見し119番通報する。

その際に嘔吐していたので、脳の関係の可能性を考えて無理に動かすことなく救急車を待つ。

この時に、実家の近所の人が私たちのところに教えに来てくれた。

 

倒れた日 午前7時頃

救急搬送先の病院で、レントゲンと脳のCTを撮る。

脳内に出血と、嘔吐が原因で誤嚥(ごえん)していて6時間以上も経っていたので右肺が肺炎になっていた。

 

倒れた日 午前7時半頃

脳神経外科の病院へ移ることになり、さらに詳しい検査としてMRIを撮る。
その時に、くも膜下出血が原因で倒れたことがわかった。

ここで、「急いで親族を集めてください」と病院に言われた父からの電話で急いで駆けつけることに。先生の説明では、脳動脈の一部がふくらんでできた動脈瘤(どうみゃくりゅう)がおそらく一回破裂した状態だが、一回目はだいたいすぐにカサブタのような状態で塞がるが、ちょっとした拍子にそれが剥がれて2回目の破裂が起こると助かる確率は1/2になると言われ、家族も面会謝絶で個室で部屋も暗くして安静にさせるとのこと。

そして、本来なら4日以内(正確には72時間以内)に手術する必要があるが、右肺の肺炎がアダとなり手術はできないとも告げられた。家族でことの深刻さに打ちのめされる。

とりあえず、2~3日は特に2回目の破裂のヤマ場なるので病院から「常に誰か一人は残ってください」とも告げられた。

くも膜下出血で倒れてからの入院

入院 1日目

救急車で運ばれて、病院の先生からの説明の時から目の焦点は合っていないが足を動かしたり何となく言葉を発していたので、意識がない状態ではなかった。

病院のベットを扉の窓越しに覗くことできるので、時折覗き込んでみると苦しいのか定期的に足を曲げて立てたり伸ばしたりしているので、いまの段階で素人目にはマヒがないように感じた。

 

入院 2日目

看護師さんから、「お昼ご飯を半分食べましたよ」と言われてビックリ!!
薬も効いていて意識がハッキリとしない中でも、食事を摂って回復しようとする姿勢に励まされた。

 

そして、病院から「泊まり込みは家族の負担になるので自宅から通ってください。」と言われる。その時にはハッキリと分かっていなかったのですが、長期戦の始まりを意味するものでもあった。

それから、朝から晩まで父は病院に通い詰め状態。
妻を含めた子供たちも、それぞれの家族や仕事もあるので交代で父を援助しつつ協力しあって病院に通うことに。

家族も面会謝絶で何も出来る状態ではないが、とにかく傍にいたいという思いで広間の待合室で早く肺炎が治って手術できることを願うのみ。

 

入院 3日目

 

病院の窓越しに食事の様子を見ると、利き手の右手に力がないように見える。
もしかしたら、右手に後遺症がでるのかもしれない…

 

入院 4日目

 

病院の院長先生から、今後の方針を聞けることになったので現状などを知るのできる機会となった。

そこで、私たちの思い込んでいた事と現実のギャップがあったことを知る。

 

私たちは、肺炎が早く治りさえすれば手術ができるので、危険な状態から脱出できると思い込んでいたが、実際には肺炎が問題ではなかった!!

確かに、最初の段階では肺炎があるのですぐに手術はできなかったが、4日(正確には72時間)を過ぎると今度は、脳の中の血管が収縮し痙攣し始める「血管攣縮(けっかんれんしゅく)」が始まるため手術ができないとの説明だった…

しかも、「血管攣縮(けっかんれんしゅく)」は若ければ若いほど長く起こるため、母は60才前半のため2週間から長くて3週間は収まらないよう

さらに厄介なことに、「血管攣縮(けっかんれんしゅく)」が始まると血圧が上がるため180まで上がってしまうと2回目の破裂の可能性が高くなり、血圧が下がり過ぎると今度は血管が収縮して狭くなっているので脳梗塞になりやくなるとのこと。

 

つまりリスクが2倍になったような状態…

いざ、2回目の破裂がや脳梗塞が起きても、その「血管攣縮(けっかんれんしゅく)」が起きている間は緊急手術もできないのでどうすることも出来ないので、こればかりは起こるも起こらないも分からないらしい。寝たきりでずっと意識がなくても2回目の破裂が起こる人もいれば、意識が回復していて順調に回復しているような人に2回目の破裂が起こる場合もあるそう。

 

状態としては、鎮痛剤を抜いていると言っていたからか意識が前よりもしっかりしているようにも見える。食事は大体半分は食べているので、「100本の点滴よりも一口の食事」の効果を期待したいところ。

 

入院 6日目

 

食事の様子を見に行った時に、部屋の中に入ることができるようになったので入るとすぐに気づいて嬉しそうにするものの、「誰だか分かるがどうしても名前が思い出せない」と言っていた。

薬で、意識がボーっとしているし、脳内には一回目の破裂で血液がでているのもあるので仕方がないと分かっているのがショックは大きい…

 

入院 9日目

食事の時が一番薬が弱いからか、意識があるのでいつも通り窓越しに覗きに行くと、看護師さんから「食事を食べさせてもらえますか?」と言われたので、お昼ご飯を食べさせてあげることができたの妻が食べさせることに。

注意点として、話しかけられる分には答えてもいいが、こちらからは出来るだけ話しかけないようにと言われたのでその点に留意しつつも久しぶりにちょっとした会話ができた。

 

入院 13日目

 

いまでで一番意識がハッキリしていたので、少しだけ面会して話しができた。

心配していた右手の力もしっかりしていて、言葉は途切れ途切れなものの十分会話できるレベル。みんなの名前もしっかりと分かっていたので一安心。

ただ、記憶が曖昧で所々関係ないことを話したりもする。でも、このまま順調にいってくれれば先は明るいと思うほどだった。

 

入院 14日目

 

朝から手術に向けて動脈瘤(どうみゃくりゅう)の場所の特定などのためにMRIでの検査があったからか、最初の頃のようにずっと眠ったままで食事もとらなかった…

検査の結果は、後日説明があるとのことが早く聞きたいと気が焦る。

 

入院 15日目

 

昨日は、MRIの検査の疲れからか熱があったので、食事も食べる力もなく眠っていたよう。

今日は、朝からしっかりと残さずに食べたので一安心。
話しもいつも以上に軽快だった。

 

入院 16日目

 

お腹の具合があまりよくないと言っていた。

看護師さんに聞いてみたら、理由は分からないが下剤を少し入れているとのことだった。

なので、本人は食欲もあるので問題はなさそう。
ただ、自分ではトイレができない状態なので看護師さんに気を遣うのを気にしているので、変にストレスにならなければいいが…

 

入院 17日目

 

先日の検査結果と、今後の流れを院長先生から説明があった。

手術ができない原因となっている「血管攣縮(けっかんれんしゅく)」が、まだまだ治まる気配ないので手術はもう少し延びるとのこと…

一日でも早く手術をしてほしいのに、こればかりはどうにもできないもどかしさ!!

血管が柔らかくて若い人で、40日の間「血管攣縮(けっかんれんしゅく)」が治まらない人も中にはいるそう…

そのパターンでないことを願うばかり…

 

今回も、いつ2度目の破裂が起きてもおかしくないのでそのつもりでもいるように院長先生から念を押された。

 

入院 21日目

検査の予定だったのに、膀胱炎になってしまった。
まさかのまさかだった…

結構ひどい膀胱炎で熱もでてしまったので、落ち着くまで検査ができなくなったのは痛い。

造影剤の検査へ

入院 24日目

院長先生からの話しで、2日後にくも膜下出血の原因になった脳動脈瘤(のうどうみゃくりゅう)の場所を特定するための造影剤の検査をすることになった。

造影剤の検査は、詰まりの原因になったりするので手術の直前にしかしないと言われていたので、もしかしたらやっとの手術になるのではと期待が高まる。

 

入院 25日目

予定通り明日、造影剤の検査をすることになったので一応家族を集めてくださいと言われた。

もしかしたら、拒絶反応や血管が詰まるなどで危険な状態になる可能性があるのでそのつもりでいないといけないと言われたからだ。

可能性としてはそこまで高くないようだけど、やはりそれなりのリスクがあるのは間違いないので緊張が高まる…

 

入院 26日目

造影剤の検査を、昼からする事になった。

股の大動脈を通して脳へ造影剤を入れるとのこと。

検査は無事に終わり、動脈瘤(どうみゃくりゅう)の場所も無事に特定できた。
一般的にくも膜下の多いパターンの場所で、前頭部の左前の辺りが患部になるとの説明。

手術するにも問題のない場所なので、2日後に手術をしてくれることになった。
やっと、待ちに待った手術。

でも最後まで、気が抜けない…

ついに手術!!

入院 28日目

本来はこの病院の手術日ではないけど、先生が「一日でも早くしましょう。」と言ってくださりついに手術になった。

3センチほど切って、問題の動脈瘤(どうみゃくりゅう)にクリップをするとのこと。

昔は、クリップが外れて数年後に2回目の破裂が起こる人もいたらしいが、いまはそんな事はないと断言しておられた。

執刀医の先生は、腕がいいことで有名なので信用しているが、もしもの事を考えて手術前に家族が皆会っておくことに。

 

手術の予定時間は3~4時間程度なので、

「2時間程度で出てきたり5時間を過ぎるようなら何か問題あったと思ってください」

と言われていた。
時間の配分としては、頭蓋骨を開けるまでが相当時間がかかり、その後は問題の患部に辿り着くのにも時間がかかると教えてくれた。

実際の手術時間は、3時間半だったのでまさに先生が言っていた通りに手術は終わった。術後の執刀医の先生の表情も明るく、手術を受けた母もすでに意識があって小さく手を振るほど。

いまは、ひと昔前とは麻酔の薬の質も変わり、麻酔も必要以上に長くかけなくなったらしい。麻酔が長いと舌を喉に詰まらせるなどの事故の元になるし、麻酔による副作用といった問題もあったので医学の進歩で改善されているよう。

 

何よりも、無事に厳しい状況を乗り越えてくれた本当に良かった。
今後は、リハビリが大変だと思うけどいつどうなるか分からない状態でなくなって一安心。

 

入院 31日目

手術が無事に終わってからICU(集中治療室)だったが、手術から4日経ってついに一般病棟に移れた。

いまの所はパッと見の後遺症はないけど、自分も経験したので分かるが一カ月ほど寝たきりの分の衰えた身体を戻すのは相当キツイ。もしかしたら、何かしらの後遺症もあるかもしれないがこれからのリハビリはかなり厳しいと看護師さんにも言われたので覚悟が必要なようだ。

心配していた右手も若干力が弱い程度で普通に動く。母に聞いたら、

「自分は左利きだと思ってた」

と言っていたので、本来は右利きなのに分からなくなっていたよう。
いまでは、普通に右手で箸を持って食事もできている。

今度の回復が楽しみだ。

最後に一言

ここまでが、実際に家族内で起きたくも膜下の経験談です。

何かと慌ただしく、毎日が心配の日々でしたが周りの方々の助けもたくさんいただきなんとか無事に乗り切ることができました。

この経験が、少しでも何かしらのお役に立てば嬉しいです。

 

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